仏像
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天蓋山 大谷寺

■大谷寺からのお知らせ 
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大谷寺について

京都府北部にある「海のまち宮津」の『日本三景天橋立』の府中にたたずむ天蓋山大谷寺は、地元では『大谷さん』と呼ばれ、歴史の教科書にも掲載された『雪舟の天橋立図』に描かれた寺院であり、西暦718年に建立されたとても歴史の古く、数々の戦乱の世を超えてきた古代ロマンを持つ寺院です。

寺院
仏像
鯉
岩

大谷寺の仏像には本寺の住職であった『智海』僧正作の『黒不動明王』さんと、京都東寺の大日如来を作られた京都七条仏師『康珍』作の大変ありがたい『阿弥陀如来』さんが、いにしえの昔からずっと今日まで、天橋立を真正面にみつめて、この地域を見守っておられます。
どうぞ、ご参拝ください

天橋立

本堂から見える天橋立

庭

お気軽にお立ち寄りください。

歴史・沿革

大谷寺は、天蓋山と号す真言宗の寺院で、養老二年(718年)に山城国下醍醐からこの地に移されました。
現在は、天橋立ケーブルカー府中駅の西側から成相寺に向かう古道に沿って、静かな佇まいをみせています。
しかし、かつては籠神社の神宮寺(神社信仰と仏教信仰が融合した「神仏習合」の思想に基づいて出現した寺院)として大きな寺領を誇ったといわれ、雪舟『天橋立図』には多くの宝塔が描かれています。
また、不動明王を祀る堂宇を示すと考えられる「不動」の書き込みがみられ、真言密教の名刹として強く意識されたことがうかがえます。
本堂には本尊である阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像)と、黒不動明王坐像も安置されており、京都府指定有形文化財となっています。
大谷寺が位置する京都宮津の府中地域の歴史を伺い知ることができる貴重な仏像を有し、雪舟『天橋立図』にも多くの堂寺が描かれる古刹です。

山門
木造不動明王坐像

15世紀後期には、僧智海が丹後守護や守護代と関係を持ち、その住坊を大聖院と呼んでいました。智海は智恩寺の多宝塔の再建に関わり、十万体以上の不動明王を描いたと言われています。また、大谷寺本堂内の木造不動明王坐像(黒不動さん)は、智海自身が刻んだもので、丹後守護の一色氏義直を願主としています。

阿弥陀三尊像

本堂には阿弥陀三尊像が安置されており、そのうちの両脇侍像は平安後期の優れた作品であり、都風の正統な様式を伝えています。最近の修理と調査により、本尊の阿弥陀如来坐像の内部から多数の墨書が見つかりました。これにより、作者は京都東寺の講堂の大日如来像を制作した京都七条仏師の「康珍」という人物であることが判明しました。

絹本著色 涅槃図

絹本著色 涅槃図

弘法大師坐像

弘法大師坐像

ご朱印について

ご朱印

御朱印の時間は、午前10時から午後4時まで
※法要等の際は、対応できないことがあります。